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シリーズ:テレビ・ドキュメンタリーの社会的影響力とは?

1.はじめに−コラムを執筆するにあたって

 私は、テレビ業界に就職してはや17年、主にドキュメンタリーを中心に50本以上制作をしてきた。学生時代から社会構造のひずみの中で生きる人々に興味があった。当時は社会政策を司る学者になろうとも思っていたが、水面下で起こっている問題が広く認知され「問題の一般化=社会問題化」にするにはマス・メディアの力が第一に重要と思った。とりわけ丹念に問題を追及するドキュメンタリー番組を制作することで、社会問題に寄与できると思い、その道に踏み入れたのである。

 しかし、近年、NHK・民放各局の「報道ドキュメンタリー」は縮小化傾向となっており、「社会問題」を発表する機会が失われている。これは何を意味するか。ドキュメンタリー番組を制作するには、交渉力や信頼関係の構築、現場での即時の判断など多くの技術を要する。制作機会が減らされることは、ドキュメンタリー制作者の技術力も低下する可能性があり、また将来的に育成が困難になることを意味している。これは、「知る権利」を有する国民に対しても不利益をこうむることになるであろう。

 「ポスト2020」の日本社会は、少子高齢化が世界で例を見ないほどのスピードで加速する。解決策が示されぬまま、現在の緊縮財政の中でこの福祉問題をどう乗り越えていくのか。マス・メディア、とりわけテレビ・ドキュメンタリーの役割をもう一度再考するべき時がきていると感じる。そこで、数回にわたり、「テレビ・ドキュメンタリーの社会的影響力」をアカデミックの観点から実証し、コラムとしたい。ここで制作現場とアカデミックの連携に及ぶことを目的としたい。

 本コラムの内容は、日本教育福祉学会、日本マス・コミュニケーション学会での学会口頭発表(2018)および、社会デザイン学会での投稿論文(2019)を修正・加筆したものである。

 

 

2.テレビの評価軸は「視聴率」だけなのか?

   テレビ・ドキュメンタリーの制作現場にいれば、誰もが感じていることだろうが、この数年をみても「報道ドキュメンタリー」の放送枠数は縮小化傾向である。番組編成に最も大きな影響を与えるのは「視聴率」であり、視聴率が取れないドキュメンタリー番組は、放送枠を失うのだ。しかし、鮮度を命とする「ニュース」とは違い、ドキュメンタリー番組は複雑な社会背景を読み解きながら、問題の本質を読み解くという大きな社会的意義の役割を担っている。そのドキュメンタリー番組の意義は、短期的な「視聴率」で図るものではなく、長期的に社会にどのような影響を与えたのかという測定の仕方も必要であり、むしろ後者のほうが社会にとっては重要である。そこで筆者は、テレビ・ドキュメンタリーが社会に与えた影響過程を検証する。ここでいう「社会に与えた影響」というのは、テレビ・ドキュメンタリー番組の報道によって政策決定(者)に影響を与え、それによって間接的に社会に影響を与えたこととする。

   事例として取り上げるのは1980〜81年にTBSで放送された「テレポートTBS6」という情報番組内で組まれた「ベビーホテル問題」のドキュメンタリーである。(情報番組内の「特集」をドキュメンタリーとするかの議題は別の機会にする。制作者の堂本暁子は自身の著書の中では今回のベビーホテルの特集を「ドキュメンタリー」として扱っている。)TBSが報道した翌年の1981年6月に、ベビーホテル問題を改善させるために児童福祉法が改正された。法改正は法治国家である日本にとって、最も高い社会的影響力であり、事例として取り上げるには最適だろう。TBSの放送から、法改正に至るまでにどのような影響を及ぼしたのか、その過程を検証する。

 

3.ベビーホテル問題とマス・メディア

(1)ベビーホテル問題とは?

   ベビーホテルとは、都道府県知事等の認可を受けていないが、保育所と同様の業務を目的とする施設で、認可外保育施設(所)の一部である。保育行政をたどると、戦後間もない1947年に児童福祉法が制定され、同法律の要件に満たした保育所を認可保育所として制度的に位置づけた。しかし1950年代半ばになると、法律の枠外を越えた保育所、無認可保育所が見られるようなる。同法律では、無認可保育所を運営するにあたり、行政への届出を義務づけておらず、また劣悪な施設であっても閉鎖するための手続き規定が設けられていなかった。そのため、営利を目的とした株式会社の運営や個人運営など様々な無認可保育所が乱立したのである。1970年代になると、無認可保育所(ベビーホテル)による死亡事故件数が増加傾向をたどり、1980年に25件の死亡事故が発生し過去最悪となった。それらの事態を受けて、1981年6月に議員立法により、児童福祉法が改正され、無認可保育所(ベビーホテル)に対し届出の義務、自治体による調査・閉鎖などの権限が与えられた。

(2)マスメディアが報じたベビーホテル問題の変遷

 まず、マスメディアがベビーホテル問題をどのくらい取り扱っていたのかを確認してみた。【図1】は、ベビーホテルに関連する問題が、戦後から1981年に児童福祉法が改正されるまで、全国紙3新聞、学術誌、大衆雑誌、TBS(テレビ)がそれぞれ報道した件数の変遷を示している。

 

【図1】ベビーホテル問題の取扱い記事数(縦軸は件数、横軸は年)  (筆者作成(1))

 

  1940年代はどの報道機関も報じておらず、1950年代は全体で3件、1960年代は新聞の件数が上昇し、多い年で7件となった。また専門家の論文投稿がされ始めたのもこの年代である。1970年代は新聞や専門家の論文投稿も僅かに増加傾向にあり、新聞は多い年で11件であった。全体として報道件数が一気に伸びたのが、1980年である。新聞は17件、テレビはTBSの報道だけで28件。児童福祉法が改正される1981年は、新聞は142件と急上昇した。

 転機となった1980年は、TBSが「テレポートTBS6」という番組の特集枠内でベビーホテル問題をドキュメンタリーとして放送を開始した年であった。初回は、1980326日「点検!乱立ベビーホテルの実態」というタイトルで放送した。制作者である堂本暁子によると、当初は1回限りの放送を考えていたが、ベビーホテル内を実際に取材すると複雑な社会背景があり、継続的に時間をかけて放送する必要があると判断した。よって、TBSは週に1回をメドに連続して放送する「キャンペーン報道」の形をとったのである。しかし、新聞報道はまだ1980年の時点では17件と少ない。このことにより、TBSのこの番組こそが、ベビーホテル問題に対し、いち早くその問題の重みと重要性を見出したと言えるだろう。

 次に、報道内容の変遷を分析した。1970年代前半までは「無認可保育所」という言葉が主として使用されていた。そこでは、専門家による学術誌では、無認可保育所による長時間保育や夜間保育の体制への問題がすでに指摘されていた。新聞においては、無認可保育所への補助金助成をめぐり、都議会での報告が記事となっている。TBSが取りあげる前から、問題として報じてなかった訳ではなかったが、この時点で「社会的影響」は確認する限り見られない。1970年代前半以降、初めて新聞で「ベビーホテル」という用語が取り上げられた。その当時は、ベビーホテルを社会問題として捉えるような取扱いではなく、反対に最新のライフスタイルやビジネスのあり方を提案するような好意的な捉え方をしていたのが特筆すべき点である。

  一方で1970年代後半からは、一般雑誌等が「ベビーホテルガイド」を特集し高揚をうたうなど肯定的な見解を示す一方で、一部の新聞ではベビーホテルの問題点を提起する否定的な見解を示すようになった。そして19803月におけるTBSのドキュメンタリーでは、段ボールの中で寝かされている子どもや、衛生的な問題を抱えた施設で親の迎えをただじっと待つ子どもの姿など、初めてベビーホテルの実態を「子どもの目線」で描いた。制作者である堂本が否定的な取扱いを始めると、メディア全体の取り上げ方は一変し、2件を除き、否定的な見解一色となった。それとともに、それまでは新聞での取扱いは、事故や議会での報告を主とする「発生ニュース」が主であったが、TBSによる放送の後は、ベビーホテルに密着したルポルタージュの記事、社会システムのひずみなど、改善を提唱するような社説なども新たに加わった。

 

(3)児童福祉法改正に影響を与えたテレビ・ドキュメンタリー

 ベビーホテル問題を大きく取り扱ったTBSのドキュメンタリーは、保育政策の根幹となる児童福祉法改定にどのような影響を及ばしたのか。【表1】は、19803月からTBSの「テレポートTBS6」でベビーホテル問題を取り扱った際のタイトルと、国会・都議会、政治・行政、市民活動の動きの調査を行った。さらに制作者であった堂本暁子への筆者による直接インタビューと堂本の報告書(堂本暁子編(1981)、『ベビーホテルに関する総合調査報告書』、晩葦社)によって、その関係性を考察する。

       国会答弁の記録をみると、TBS放送前においては「ベビーホテル」に関する答弁はわずか2件しかなかった。しかし、19803月放送から19816月の法改正までの答弁は19件に及ぶ。放送からわずか2カ月後の第91回国会法務委員会第24(1980514)では、田中美智子衆議院議員が、TBSのテレポート6の番組を実際に見た感想とその番組内容を事細かに説明し、厚生省に緊急の調査や対策を迫る答弁を行った。

 しかし厚生省はすぐには対策を講じなかった。堂本が厚生省に問題の事態の把握と対策について取材を行うが、「テニスをするときや海外旅行をするために子どもを預けるような親に公金は使えない」と相手にされなかったという。それまで、保育とは母親が家で行うものであり、保育施設に預けることは、経済的な事情などを抱えている家庭というのが通念だった。しかし、高度経済成長期に伴い、東京一極集中が進み、家族の形が「核家族」に変わり、1970年代半ばから女性就業率が徐々に増加していった時代背景がある。これまでの通念と社会の現象に歪みが出てきた時期でもあった。

 どのような母親がベビーホテルに子どもを預けているのかを検証するため、 198010月にTBSは厚生省よりも先んじて、東京都と周辺一帯のベビーホテルの実態調査を行った。その結果、90.2%の母親が仕事を持っていることが明らかになった(堂本2010:180)。そしてその調査結果をすぐに番組で報じた。つまり個人の事情による「点」の問題でなく、「面」で起こっている「社会問題」であると初めて実証したことになる。TBSが実態調査結果を報じた10月の放送を境に、国会や行政、市民が一気に動き出していることが分かる。そしてTBSの実態調査から遅れて1か月後、厚生省は都道府県にベビーホテルの実態調査を指示し、翌年の1月に結果を発表することになる。その厚生省の実態調査の結果を受けて、新聞が一斉に報道したことにより、先述したように報道件数は142件と急上昇したのである。このようにTBSによって社会問題として可視化されたベビーホテル問題はその後、国会や都議会、行政、市民運動の動きを活発化させ、ついには児童福祉法改正に影響を及ぼしたのである。

 

(1)全国紙3新聞とは、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞である。朝日新聞は「記事データベース聞蔵供廖読売新聞は「ヨミダス歴史館」、日本経済新聞は「日経テレコン21」の記事検索データベースを使用した。尚、毎日新聞と産経新聞の記事検索データベースが1980年代に対応していなかったため除外した。学術誌は、「国立国会図書館サーチ」の「記事・論文」の項目から検索とした。大衆雑誌は、「雑誌記事牽引集成データベース」から検索し、堂本(1980)の報告書(pp364379)も参考にした。なおNHKのテレビアーカイブスは一般に公開されていないので、前出の堂本の報告書にあるTBSの放送のみを対象とした。いずれも検索ワードは「無認可保育所」「ベビーホテル」でその総数を数値化した。

(2) 『厚生省五十年史(資料編)(1988)、財団法人厚生問題研究会、pp.12271435.『児童福祉五十年の歩み』(1998)、厚生省児童家庭局編、p.31.『保育白書』(1981)、全国保育団体連絡会。pp.358369.国会議事録検索システム、都議会録検索システム、堂本暁子編(1981)、『ベビーホテルに関する総合調査報告書』、晩葦社より作成。

 

※第1回「シリーズ:テレビ・ドキュメンタリーの社会的影響力とは?」はここで終了。次月第二回目は、「影響の要因」を制作者である堂本暁子のインタビューから読み解きます!

 

○執筆者プロフィール

浅野麻由 

映像ディレクター

2002年大学卒業後、テレビ制作会社に就職。ドキュメンタリー番組、報道番組、情報番組、CMなど50本以上の作品に携わる。現在、番組制作の傍ら、社会人大学院博士後期課程に在籍し、「テレビ・ドキュメンタリーと社会デザイン」について研究を行っている。2018年、NHK総合「病院ラジオ」でギャラクシー賞テレビ部門入賞、2014年、日本コカ・コーラ「アクエリアス-泳ぎたいおばあちゃん編-」電通広告賞受賞。

その他、NHK-BS1BS1スペシャル 少女が神になるとき-クマリ・ネパールの祈りとともに-(2018) NHK-Eテレ・アジア放送連合・国際共同制作「プロフェッショナルな女たち-放送の未来をみつめて-(2012)など

 

 

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